

日頃より、富士通アメリカンフットボール部フロンティアーズに対しまして、たくさんのご支援とご声援を賜り、誠にありがとうございます。とりわけ、昨今の経済情勢が厳しい中、企業チームとして活動できる環境をいただけていること、Xリーグの中で最もたくさんお客様が試合に応援に来ていただいていること、に心から感謝申し上げます。
さて、昨シーズンのフロンティアーズは創部25周年を迎え、「本気」をスローガンに悲願の日本一を目指しましたが、春季はパールボウル準決勝で3点差での惜敗、秋季は社会人リーグ決勝「Japan X Bowl」に進出したものの7点差での敗退と、あと一歩が届かない結果に終わりました。日本一を達成できなかったことは大変残念で、応援してくださる皆様の期待に応えられず申し訳なく思います。しかしながら、年々確実にチーム力は向上しており、念願の日本一にあとわずかのところまで来ていると感じており、26年目となる今年こそは日本一を奪取できると確信しています。
今年のチームのスローガンは昨年から継続して務める伊藤主将を中心に選手が話し合い「One Action, One Team」となりました。各自の自主性を尊重し、一人一人が昨年のスローガンだった「本気」に継続して取組み、一人一人の行動がチーム全体に繋がることでチーム一丸「ONE FAMILY」で日本一を目指すというものです。2月から自主練習を開始しましたが、個々の意識もあがっており、フィジカル面の強化はもとより、フットボール知識の更なる向上といった面でも選手が自主的に取り組み、確かな手ごたえを感じております。
Xリーグの試合は川崎球場で開催される機会が多いのですが、私たちは地元川崎市のスポーツ推進パートナーとして川崎に根付き、アメリカンフットボールはもとより小中学生から成人男女にいたるフラッグフットボールの普及活動も行っております。フットボール業界の発展のため、若い選手の育成を行いながら、試合では皆様に元気と感動をご提供してまいりますので、ぜひ皆様に試合会場にお越しいただきたく、ご支援とご声援お願い申し上げます。
最後に、日ごろよりお世話になっている皆様に改めて深く感謝申し上げます。
富士通フロンティアーズ
ゼネラルマネージャー 叶 忠之
創部
1985年3月
発足経緯
1984年、富士通グループ全社のアメフト経験者が集まり、同好会として発足。
翌年、“アマチュアリズムで仕事もフットボールも日本一に”をスローガンに、日本アメフト界の開拓者となることを誓い「FRONTIERS」と命名し正式にスタート。以降、急速に力をつけ創部3年目には社会人最高峰リーグ(1部リーグ)に昇格。92年には念願のリーグ優勝を果たした。また同年から、春の社会人王者を決するトーナメント戦「パールボウル」において3年連続で決勝に進出するなど一気にフットボール界のトップへと上り詰めてきた。その後、低迷が続いたが2000年には92年以来となるリーグ優勝を全勝で飾り完全復活を果たした。
その後も安定した力を発揮し、03年のパールボウルでは念願の初優勝を果たした。
そして創部20周年を迎えた2005年から、大学、社会人の両リーグで指導者として実績を残してきた藤田氏をヘッドコーチに迎え、06年パールボウルでは、3年ぶり2度目の優勝を果たす。さらに、07年・09年には、リーグ戦決勝に進出し、準優勝を果たした。
今シーズンは、悲願の「日本一」に向けて挑戦を続ける。
活動拠点
富士通川崎グランド 川崎市高津区下野毛3-9-1
歴史・成績(主な戦績と出来事)
| 1985年3月 | 創部(6月1日に記念すべき初練習が多摩川の河川敷で行われた) |
|---|---|
| 1986年 | 日本社会人アメリカンフットボール協会加盟 |
| 1987年 | 日本社会人2部リーグの春季王者決定戦「ジュニア・パールボウル」優勝 秋季リーグ戦に全勝優勝。1部最下位の警視庁との入れ替え戦に30-6で勝利し、1部リーグへの昇格を果たす |
| 1988年 | 社会人1部リーグ昇格 1部での初の秋季リーグ戦は、1勝4敗とトップレベルの洗礼を受ける |
| 1992年 | 日本社会人1部リーグ 秋季リーグ戦ブロック優勝/春季社会人王者決定 「パールボウ ル」にて準優勝 |
| 1993年 | 春季社会人王者決定戦「パールボウル」にて準優勝 |
| 1994年 | 春季社会人王者決定戦「パールボウル」にて準優勝 |
| 1995年 | アメリカンフットボールの本場米国より、外国人コーチを招聘 (STANFORD大学OB) |
| 1996年 | 「日本社会人アメリカンフットボールリーグ」から「Xリーグ」と リーグ名を改名。Xリーグ元年は4位に終わる |
| 1999年 | 第一回アメリカンフットボール・ ワールドカップに4名の選手・2名のスタッフが参加し、日本代表の優勝に貢献 Xリーグ EAST Div 全勝優勝 決勝トーナメントに進出し準決勝で松下電工に敗戦 |
| 2002年 | XリーグEAST Div.にて優勝。決勝トーナメントで勝ち進み、日本社会人選手権(決戦戦「東京スーパーボウル」)に出場 社会人準優勝 |
| 2003年 | 春季東日本社会人王者決定戦「パールボウル」初優勝「第2 回ワールドカップ ドイツ大会」に選手8 名とコーチ1 名が参戦し、日本代表の大会連覇に貢献 |
| 2006年 | 春季東日本社会人王者決定戦「パールボウル」優勝 |
| 2007年 | 「第3回ワールドカップ 川崎大会」に日本代表に選手3名とコーチ1名・スタッフ1名、韓国代表に1名、アメリカ代表に1名が参戦。 Xリーグ EAST Div 優勝 決勝トーナメントで勝ち進み日本社会人選手権(決勝戦「Japan X Bowl」)に出場 社会人準優勝 |
| 2008年 | 春季東日本社会人王者決定戦「パールボウル」準優勝 Xリーグ EAST Div 準優勝 |
| 2009年 | Xリーグ CENTRAL Div 優勝 決勝トーナメントで勝ち進み日本社会人選手権(決勝戦「Japan X Bowl」)に出場 社会人準優勝 |