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今回の素顔のアスリートは、FRONTIERSの元気印#26 DB植木大輔選手です。167cmと小さい体ながら相手選手をタックルで跳ね返すなど、激しいプレーが身上の植木選手は、昨年度のベストイレブンに当たるオールXリーグに選出されるなど、日本を代表するプレーヤーに成長を遂げました。高校時代は野球部に所属し、甲子園出場経験もある植木選手に迫りたいと思います。
アメフト界の“松坂世代”
1980年生まれの植木大輔。これだけで名前の由来がわかってしまうかも知れませんが、母恭子さんが1980年に甲子園で大旋風を巻き起こした荒木大輔の大ファンになり、その年に生まれた息子に大輔という名前をつけました。母恭子さんはかなりの野球好き(阪神タイガースファン)で、息子の大輔に野球をやってほしいとの思いはありましたが、強制はせず、本人の好きなことをやらせてあげようと思っていたといいます。
植木選手は幼少時代、父親の仕事の都合で引越しを繰り返していました。そんな植木選手を母恭子さんが心配し、友達がたくさんできるようにと、地域の少年野球チームに連れて行ったのが野球との出会いでした。野球を始めた植木選手は持ち前の明るさとキャラクターですぐにチームに打ち解け、たくさんの友達もでき、同時に野球にものめり込みました。小学校時代のポジションはキャッチャーで、無意味にフライをダイビングキャッチしていたので“ガッツで賞”をもらったのが一番の思い出だそうです。
中学校ではピッチャーとして野球を始め、自分の名前の由来である荒木大輔が活躍した甲子園出場を目標にしていました。けれども、自分にけじめをつけるために、中学で近畿大会に出られなければ野球を辞めると心に決めていました。結果は、当時住んでいた滋賀県の県大会に出場するも、1回戦敗退に終わってしまい、野球への思いを完全に断って違う道に進むことを決意したといいます。
違う道といっても、特になく、ぼんやりとした生活を送っていました。高校進学も父親の進めもあり、家からも近く、自分では何気なく近江高校に入学しました。ところが、いざ入学してみると、グランドで全国レベルの野球部が活気ある練習しているのを目の当たりにし、野球を辞めると決意した植木選手は我慢できず、1ヶ月後には野球部への入部を決意していました。「今、思い出すと、父親が近江高校を進めてくれたことに感謝しています。たぶん本当は、いつでも野球ができるようにと、進めてくれたんだと思います」
全国大会常連の近江高校でのレギュラー争いは想像以上に厳しく、更にスポーツ推薦組と違い、植木選手たちの一般入部組は練習すら、させてもらえない日々が続きました。でも、持ち前のガッツとアピールで、何とか練習に参加できるメンバーに入りました。ピッチャーだった植木選手は、上級生に良いピッチャーがいなく、若手ピッチャーを育てるというチャンスと活かし、高校2年より3番手ピッチャーとして登板機会をもらえるようになります。高校入学以来、1、2年時は、あと一歩のところで甲子園出場を逃してきた植木選手ですが、高校3年に先発3本柱の一人として、悲願の甲子園に春夏連続で出場することになります。しかし、春のセンバツ甲子園出場が決まった直後に、うれしさの余り過度の投げ込みを行い、肩を壊してしまいます。結果、夢にまで見た甲子園のマウンドには立つことができませんでした。

高校でのベストのピッチングは、事実上、勝てば春のセンバツ甲子園の出場が決まる近畿大会1回戦での投球です。先発したエースピッチャーが、大阪代表の強豪高相手に、1回から崩れ、植木選手がすぐにリリーフした試合です。6回までを1失点に抑え、見事勝利投手になり、チームのセンバツ出場に大きく貢献しました。「甲子園では、投げることができなかったけど、チームの甲子園出場に貢献でしたのでよかったです。あの試合の1回に、ノーアウト満塁で、相手4番打者を三振にしとめたVスライダーの感触は忘れられません」
甲子園では荒木大輔のように“植木大輔フィーバー”は起こりませんでしたが、野球好きの両親を甲子園に連れて行ったことだけでも、最高の結果になったのではないでしょうか。
高校野球を引退した植木選手は、将来の進路に悩んでいましたが、大阪産業大学アメリカンフットボール部より推薦入学の話が来ました。最初はアメフトというスポーツに馴染みがなかったため、あまり興味がありませんでしたが、アメフトの学生選手権(甲子園ボウル)は甲子園で開催されることがわかり、「もう一度甲子園に行きたい。次はあのフィールドで活躍したい」という思いから、新たなスポーツ、アメフトを始めることになりました。

フットボーラー植木大輔
植木選手は根っからの格闘技好きで、すぐにアメフトの面白さに、のめり込んでいきます。持ち前のガッツで大学3年生の時には頭角を現し、学生オールスターに選出されるまでになりました。甲子園ボウルの舞台には1度も立つことはできませんでしたが、「この競技は自分に向いている。もっと上のレベルでやりたい」との思いから、富士通フロンティア-ズに入部を決めます。
入部後すぐに、日本一を目指すチームの高いアメフトへの意識を肌で感じとり、植木選手自身も、より一層、自分の取り組みのレベルを上げていくことになります。週に4回は、仕事帰りにトレーニングをし、食事も栄養バランスなど考えて摂取します。そのトレーニングの成果もあり、入社時72kgだった体重が、今では77kgまで増加しました。5kgの体重アップでも、体脂肪は10%を維持するなどフロンティアーズ随一の肉体を誇ります。
身長167cmと、アメフト選手としては、かなり小さい体の植木選手ですが、それを補うために、スピードとパワーを重点的に鍛え、大きな体の選手にも当たり負けないパワーと、身長が小さい特徴を最大限に活かせるスピードを手に入れました。
そんな、アメフトでは理想に近い肉体を持っている植木選手ですが、日々の生活ではアスリートならではの悩みを抱えています。アメフト選手はこの競技ならではの特長で、人とのコンタクトがあるため、怪我防止に首を鍛えなければいけません。植木選手は激しいタックルをするために、人一倍首を鍛えており、首周りは45cmにもなります。サラリーマンでもある植木選手が、その首周りに合わせてYシャツを購入すると、袖が長く、指まで隠れてしまう「大きい人用のサイズ」しかないといいます。スーツのパンツも同様に、ヒップが105cmもあり「大きい人用のサイズ」を履くため、半分ぐらい裾上げしてもらうこともあるそうです。他にも、足が太く、数ヶ月で股ずれを起こし、破れてしまうなど、植木選手はアスリート独特の悩みを抱えています。
チームのムードメーカー

植木選手がいいプレーをすると、必ずといっていいほど、激しいセレブレーションを見ることができます。このセレブレーションは、自分を奮い立たせるため、チームを盛り上げるため、お客さんに楽しんでもらうために行っています。きっかけは、アメフトの最高峰であるNFLのテレビを見ているときに、選手のセレブレーションを見て「すごくアメフトを楽しいでいるように見えた。これだ。やってみよう」と思ったそうです。以来、NFLを見てセレブレーションを予習し、試合に臨んでいるといいます。
植木選手は昨年、チームを盛り上げるために、いろいろなことを提案し、実行してきました。「昨年はDBでいいプレーをしたら、みんなで同じセレブレーションをして、盛り上がろうと思って、試合前にセレブレーションの練習をしたりしました。結果、DB全員で盛り上がって試合できたし、それを見て、他のポジションが参加してきたり、真似したりと、いい影響をチームに与えることができたと思います。また昨年から試合前の入場行進で、チーム全員でリズムに乗って登場することも提案し、試合前にチーム全員で練習したりして、チームが1つになれたと思います。実際に試合でも盛り上がれて、試合開始の1プレー目から、みんながハイテンションで臨めました」
植木選手は、富士通に入社後1、2年目は自分のプレーで精一杯になってしまい、あまりチームのことは考えていませんでした。大きな変化の年となった、入社4年目の昨年にDBのリーダーを務めました。ここでDBのために活動し、ポジションだけではなく、そこからチームに影響を与えていきました。この経験が、とてもやりがいに感じ、植木選手にとって自分自身のエネルギーになったといいます。
今シーズンは「今季はもっとチームの真ん中にいて、影響を与えたい」との思いで、副キャプテンに自ら立候補しました。「自分はまだ26歳で、この先、何年アメフトをしているかわかりませんが、今年1年を勝負の年にしようと決意し、来年のことは考えずにプレーしていこうと思っています。また、今年のこのメンバーでのチームは、今年で終わってしまいます。このチームでどうしても優勝したいので、できることはすべてやっていきたいです」
チームのムードメーカーとして絶対的な存在の植木選手。今季フロンティアーズ悲願の日本一に向け、これからの活躍に注目です。





