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RedWave版『素顔のアスリート』をスタートします。この連載ではRedWaveの選手を特集し、試合で見るアスリートとしての顔だけではなく、練習風景や仲間との交流などを紹介します。第1回は#12 矢野良子選手をレポートします。
ヒストリー
3人姉妹の末っ子である矢野良子選手は2人の姉に影響され、小学4年生のときにバスケットボールを始めました。『矢野姉妹』と紹介される3つ上の矢野優子選手(2006年にトヨタ自動車からRedWaveに移籍)は2番目の姉です。実は当時、姉妹の中で一番バスケが上手だったのは、良子選手でも優子選手でもなく、1番上のお姉さんだったそうです。
矢野選手は2人の姉がそうだったように、地元・徳島の小学校、中学校、城北高校へと進学しました。もちろん高校でも、2人の姉の後を追うようにバスケ部に入部しました。高校時代の成績は全国大会に出場するものの一回戦負けとなりましたが、実力のあった矢野良子選手はU-18日本代表に選出されました。ただ、控えであまり試合に出場することはなく、高校時代でバスケを辞めようと思った時期もあったそうです。しかし、スカウトや姉からの誘いもあり、より高いレベルでプレーをしたいという思いが募り、高校卒業後は矢野優子選手が在籍するJOMO(当時ジャパンエナジー)に入社しました。
JOMOサンフラワーズに入部当時のポジションは現在のフォワードではなく、センターフォワードで、同じポジションには、日本代表のエースとしても活躍していた萩原美樹子選手がいました。「萩原さんのプレーを目の前で見ることができたのは、すごく貴重な経験でした。憧れの存在で、見本となる人でした」と語るように、矢野良子選手は現在でもプロフィールの『憧れの選手』の項目に「オールラウンドで、すごいプレーヤー」と荻原選手の名を挙げています。
その萩原選手が矢野良子選手3年目のときに日本人初のWNBAの選手となり、チームを離れました。「萩原さんがいなくなってからは、自分が先頭に立って、がんばらなければと強く思うようになりました」と、その後の矢野良子選手はチームのエースとなり、Wリーグ優勝4回、オールジャパン優勝6回に大きく貢献、日本代表でもレギュラーとして大活躍しました。
JOMOから富士通へ
JOMOで輝かしい成績を残した矢野良子選手は、2005年に富士通RedWaveに移籍を決めました。移籍の一番の理由はRedWaveというチームに魅力を感じたことだといいます。移籍前年には、チームが若返りを図る中、キャプテンとしてJOMOを引っ張っていましたが、その重責で自分のプレーができなくなっていました。その葛藤の中でRedWaveと対戦した時に、「ものすごく勢いを感じ、脅威に思えて、勢いに乗れば優勝も夢ではないチームだなと思いました。同年代の選手も多く、このチームでプレーしたいという気持ちが芽生えました」と当時を振り返ります。

矢野良子選手と同年代には、日本を代表するプレーヤーが多くいます。通称「花の78年組」と呼ばれる世代です。RedWaveには#1三谷選手、#7船引まゆみ選手、他チームではシャンソンの石川選手、三木選手、JOMOの山田選手、林選手、川畑選手、JALの柳本選手、トヨタの榊原選手などの名が挙がります。花の78年組について矢野良子選手は、「同年代の選手が多いのは、とても刺激になるし、対戦も楽しみです」と語っています。

オリンピック
日本で幾度となくリーグ優勝を経験してきている矢野良子選手に、一番思い出に残っている試合について尋ねると、「アテネオリンピックと、そのアジア予選の試合です」と答えが返ってきました。その中でも特に、アテネオリンピック出場を決めた準決勝の韓国戦が一番の思い出となっているといいます。
当時中国、韓国の2強と予想されていた中、日本がアテネオリンピックに出場するためには、アジア予選で3位以内に入ることが条件でした。アジア予選では5チーム(中国・日本・韓国・チャイニーズタイペイ・タイ)での総当たりの予選リーグ戦から、上位4チームがセミファイナルに進出し、決勝と3位決定戦を行いました。最初の予選リーグでは前評判そのままに日本は韓国に67-99で大敗を喫しています。そして予選リーグを1勝3敗と4位で迎えた決勝トーナメント準決勝の対戦相手は予選リーグ1位の韓国でした。この試合で矢野良子選手は両チーム最多の34得点をマークし見事勝利に貢献、延長戦での81-72という粘り勝ちで日本をアテネオリンピックへと導きました。
アテネオリンピックでは1勝5敗と12チーム中10位に終わってしまいましたが、「個人的には技術面など世界に通用する部分が見えたので、海外でプレーすることも意識できた大会だった」と振り返っています。2年後の北京オリンピックについては、「年齢的にも最後のオリンピックですし、北京開催ということで、アジアの出場枠が1つ増えるし、いろいろな意味で最後のチャンスだと思うので、是非出場したい」と強く語ってくれました。

3Pシュート
矢野良子選手を語る上で、3Pシュートという最大の武器が挙げられますが、本人はそれほど3Pシュートにはこだわっていないといいます。2001年、2003年、2005年に3Pランキング1位に輝いていますが、「私は自分をシューターだとは思っていません。あくまで選択肢の一つにあるだけです」と語ります。
しかし、2004年のアテネオリンピック後から、ボールのサイズが7号から6号へと一回り小さくなり、矢野良子選手自身も苦労したそうですが、翌年の2005年には3Pランキングトップに返り咲きました。本人は「こだわりは持っていない」といいますが、人一倍シュート練習をしてきたからこその結果であることに間違いはありません。
RedWave副キャプテンとして
2006年度のシーズンから副キャプテンに就任した矢野良子選手にとってRedWaveの最大の特長は、JOMO時代から感じているように、「勢いのあるチーム」です。そのため、チームに勢いを与えられるプレー、周りを生かすプレーを心がけています。「勢いに乗ったうちのチームは、ものすごく強いと思います。しかし、チームが勢いに乗れないときに、ズルズルと悪いプレーが続いてしまうという弱点もあるので、流れを変えるプレーができたらと思っています」。
RedWave選手の中で唯一のWリーグ優勝経験者である矢野良子選手は、RedWaveへの移籍初年度(2005年度)に全日本選手権初優勝と、2年ぶり2回目のWリーグセミファイナルを実現しました。今年度(2006年度)も既に全日本選手権連覇を達成し、今シーズン首位(11月19日現在)を走る原動力となっています。これまでの多彩な経験を今季は副キャプテンとしてチームに還元し、RedWave初のWリーグ制覇という夢を叶えてくれることでしょう。


