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アスリートの素顔〜第7回 高平慎士選手〜

今春、富士通に入社した短距離の高平慎士。アテネ五輪の男子400mリレーでは日本チームの3走を務め、過去最高の4位入賞に貢献した。 日本の陸上界期待のスプリンターに、自身の陸上観や今夏の大阪世界選手権への思いを語ってもらった。
[記:Tamako Matsuda]

北の大地が生んだスプリンター

北の大地が生んだスプリンター「1年のほとんど半分は雪」という冬の長い北海道旭川市で、高平は生まれ育った。 子どもの頃から身体を動かすのは好きだった。小学校3年生の時、友達の誘いで地元の少年野球チームに入る。全道大会でも上位に入るほどの強豪チームで、主力選手として活躍。週に5、6日は野球の練習という日々を送っていた。 一方、体育の授業や運動会で、その俊足ぶりは注目を集めていた。学校の先生から「陸上の大会に出てみないか?」と声がかかり、学校代表として大会に出場したことが、陸上競技との出会いだった。

野球に打ち込む傍ら出場した陸上の大会で、5年生のときには100mで道大会2位、そして6年生では、100m全国大会7位と、早くもその才能を発揮させる。 「小学校時代は、陸上は遊び感覚だったんです。その中で、全国で優勝できるかもしれない、というレベルまで来たときに『あ、陸上って面白いな』と思いました」 高平は、そう当時を振り返る。進学する予定の中学には陸上部はなかったが、先生から「陸上部をつくってあげるから、やってみないか?」と声がかかっていた。 「野球を続けたい気持ちもありました。団体競技の喜びもわかっていたし…。でも野球は試合で優勝してもトロフィーがチームに1個だけだったりする。陸上は、成果が自分に返ってくるじゃないですか。大会とかでいろんな場所に行けるのも嬉しかった」

そして高平は、中学から本格的に陸上競技に取り組み始めた。

中学時代は、「成長を妨げないように」という顧問の先生の方針のもと、基礎的な練習が中心だったという。それでも3年生の時には、100mと110m障害で道大会優勝。日程の都合で110m障害に種目を絞った全国大会では4位に入賞する。旭川大高校時代にはさらに力を伸ばし、高校総体では2年の時に100m3位、3年では200mとリレーで優勝。さらには国体では、レースで走るのは2度目という400mで46秒81の好タイムを出して優勝した。輝かしい実績を引っさげ、大学は数多くの誘いの中から「海外に行かせてもらえる視野があり、自分らしく陸上に打ち込めるところ」と順大へ進学した。そして順大2年時の04年には、アテネ五輪出場を果たす。北海道出身の陸上選手としては、実に48年ぶりとなる五輪選手の誕生だった。

2007年国際グランプリ大阪大会にて

筋の通らないことは我慢できない

足跡を見ると、順調に歩んできたように見える高平の陸上人生だが、「筋の通らないことは我慢できない」というはっきりした性格ゆえに、周囲とぶつかることも少なくなかったという。

高校時代には、練習メニューをめぐって顧問の先生と衝突したこともある。「言いたいことをいえないような環境じゃ、強くはなれないと思う。やらされているというのは一番イヤなことですね」 きっぱりと高平は言う。もちろん、やみくもに反発するのではない。高校時代の先生との“喧嘩”も、部内の雰囲気を良くするために必要なことだった。「先生とも和解したし、今もみんな仲がいいですよ。あれがなければ、インターハイは優勝できなかったと思います」。そう高平は振り返る。

また、大学時代のこんなエピソードもある。陸上部員は皆、寮生活を送ることが規則だった。光熱水費は寮生全員での割り勘。遠征や合宿で不在のことが多かった高平も全く同じ額を払わなければならなかった。その理不尽さに我慢ができず、4年時には一人寮を出て、アパート住まいを断行したのだ。「けっこう反抗心が強いですね、僕は。ヘンに理不尽なことを通されることが我慢できないんです。先生方には嫌がられるタイプかもしれないですね(笑)」

はっきりと言いたいことを口に出すのには、エネルギーも要る。だが「そこが楽しいところでもある」と、本人は冷静かつ前向きだ。「陸上を通していろんなところに行って、いろんな人と関わってきた中で、学んだことが大きい。自分の置かれた状況を考えて、しっかりしなきゃ、と…。強い選手になるには、勉強ができる頭の良さではなくて、人間的に頭がよくなることが必要だなと思いますね」

周囲に流されることはない。考え方には一本の芯が通っている。

2007年のレース

20歳で出場したアテネ五輪

レース後高平が世界を意識するようになったのは、高校を卒業する前だった。「まずは大学で地を固めて、その後の大阪の世界陸上、北京五輪を目標にしようと思っていた」

だが、順大2年時の04年の日本選手権200mで、高平は五輪標準記録Aを突破する20秒59をマークして優勝、アテネ五輪出場を決めた。「予期せぬ五輪でしたね。目標にしていたわけでは全然なかったし、あれよ、あれよ、という間に代表入りしていました」

そして迎えた五輪本番、個人種目の200mは1次予選敗退に終わったが、400mリレーでは、過去最高の4位入賞を果たした。3走を務めた高平は、決勝前、スタジアムを包む歓声の中でスタートの号砲を待ちながら「何て幸せな場所にいるんだろう…」と実感したという。「頭の中が真っ白でしたね、その時は。それまで経験した国際大会とは、全く違いました。日本最高順位といっても、初めての五輪だったし、あまり実感はなかった。でも後で振り返って、すごい場所にいたな、と。逆に、やっぱりメダルが獲りたかったな、とも思いますし、今になっていろんな思いがありますね」

初めて経験する大舞台は高平にとって「人生観が変わるくらいの大きなイベント」だった。

アテネ五輪の翌年、05年にはヘルシンキ世界選手権に出場した。個人種目の200mでは1次予選敗退、400mリレーは決勝で8位に終わった。「身近で為末(大・男子400m障害)さんがメダルを獲るところが見られたのは、今でも良いイメージで残っていますし、リレーがダメだったことも印象に残っています」。そう高平は振り返る。今夏には、大阪で世界選手権が開催される。「まずは権利を勝ち取らないと話にならない」と堅実な姿勢を見せるが、地元・日本開催だけあり、思い入れはもちろん強い。「大阪を盛り上げたい、というのは選手のみんなが思っていることだと思う。そこに自分が立つことができたら幸せだなと思います」

今シーズンに入る前の陸連合宿で、高平は「今年は100m、200m、400mで自己ベストを更新したい」と語っていた。スプリンターとしても幅を広げるシーズンとなりそうだ。

「いつも楽しく」

富士通入社イベントにて高平は、学生時代から定期的に米国に渡り、カール・ルイス、リロイ・バレルら多くの名選手を育てたトム・テレツ氏の指導を受けている。「ルイス、バレル…そういう選手を育てた方に教わることができるのは、すごく幸せだと思っています。教えてもらえるかぎり教えてもらおう、と思っていますね」

合宿や遠征を重ねる中で、海外の選手から影響を受けることも多い。「米国とかに行くと、プロ選手もみんな楽しそうにやっている。やっぱり、魅力を感じますね。今、僕が目標として掲げるのも、そういうところなので…」 高平はそう語り、続ける。「陸上を観に来るお客さんって、競技場に観戦に行って『新記録が出たらラッキー』というところがあると思うんです。そうじゃなくて、例えば『この人の歌が聴きたいから』とアーティストのライブに行くように、陸上も、強いとか速いとかいう以前に『あの人の走りが見たい』と競技場に足を運んでもらえるようになってほしいですね」

大学4年のとき、テレビで観ていたトリノ五輪で、高平の感覚が刺激される言葉があった。「ある選手がインタビューで『遊びの延長線上でここまで来たんです』と言っていたんです。面白いな、と思いましたね。僕にとっての陸上も、楽しむことが根本だと思っています。遊びの延長でできるわけじゃないけど、そういう気持ちは忘れないようにしたいですね」

モットーは「いつも楽しく」。「楽しくなくなったら、陸上を引退する時だと思っている」と高平は言う。


陸上選手としての最大の目標は「五輪でメダルを獲ること」。まずは、今夏の大阪が勝負の舞台となる。リレー種目で、悲願のメダル獲得を目指す--。 (文中敬称略)

まずはリレーでメダル獲得