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2007年12月2日、「第61回福岡国際マラソン選手権大会」が福岡市の平和台陸上競技場をスタート・ゴールとする42.195kmで行われます。今年は北京五輪の男子マラソン日本代表選考会を兼ねているため、代表の座を狙った熾烈なレース展開が予想されます。この大会に富士通陸上競技部からは、ベテランの藤田選手、三代選手、そして、目標とする藤田の下でこの夏一緒にマラソン練習を行ってきた新人・山下選手の3名が出場を予定しています。
このコーナーでは「特集:藤田敦史」の拡大版として、『三人のスタートライン』と題し、藤田選手、三代選手、山下選手の福岡国際マラソンに向けた思い、取り組みなどを紹介します。
目次
- 11月27日 Vol.3「もう一度フルマラソンを走りたい」三代直樹
- 11月16日 Vol.2「マラソンランナーとして強くなりたい」山下拓郎
- 10月25日 Vol.1「ようやく五輪選考会のスタートラインへ」藤田敦史
藤田敦史プロフィール
日本屈指のマラソンランナー。1999年3月、学生最後の年に初マラソンとなる「びわ湖毎日マラソン」で当時の学生記録(2時間10分7秒)をマーク。入社1年目の1999年「世界陸上セビリア大会」では6位入賞、シドニー五輪選考会はケガのために出場できなかったが、2000年12月の「福岡国際マラソン」では当時の日本最高記録(2時間6分51秒)を樹立して優勝。翌年の「世界陸上エドモントン大会」では12位となるものの、2002年の「東亜国際マラソン」では2年ぶりの優勝(2時間11分22秒)。軌道に乗り始めた矢先、再びケガに泣かされ、アテネ五輪選考会はスタートラインにすら立てず、2度の五輪選考会を逃した。3年後の2005年3月「びわ湖毎日マラソン」で10位(2時間12分30秒)、同年12月の「福岡国際マラソン」で3位入賞(2時間9分48秒)と、ようやく復活の兆しを見せ、2006年12月の「福岡国際マラソン」に挑んだが、結果は8位(2時間11分50秒)。しかし、 “皇帝”ゲブレシラシエ選手との出会いがターニングポイントとなり、2007年2月の「第56回別府大分毎日マラソン大会(2007年)」では福岡から約2ヶ月という異例ともいえる短い期間での調整を行い見事に優勝(2時間10分23秒)、完全復活を果たした。福島県出身。
これまでの特集企画
2007年「特集:藤田敦史~変化の予感〜」
2006年「いざ福岡!〜藤田敦史の素顔に迫る〜」
三代直樹プロフィール
富士通陸上競技部の中心的存在。2000年ニューイヤー駅伝優勝メンバー。2003年4月から2007年3月末までキャプテンを務め、面倒見の良さと責任感ある人柄で信頼も厚い。藤田選手とは同期入社で、学生時代は出雲選抜駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝と3大駅伝ともにライバルとして互いに競い合う。三代が箱根駅伝2区で樹立した区間新記録は2007年現在も破られていない。タイプ的にはスピードを活かしたランナーで、5000mは13分36秒79(2000年)、10000mは27分59秒39(2000年)、フルマラソンは2時間10分33秒(2003年東京国際マラソン4位)の自己ベストを持つ。常にケガとの闘いがつきまとうが、今年9月の5000m記録会では5年ぶりに13分台を出し、順調な仕上がりを見せている。『もう一度マラソンを走りたい』という思いを胸に福岡のスタートラインに立つ。島根県出身。
これまでの特集企画
2006年「素顔のアスリートVol.4:八年目の襷」
山下拓郎プロフィール
2007年4月入社。2006年箱根駅伝では9区の区間賞で亜細亜大学初優勝に貢献した。2007年3月の「びわこ毎日マラソン」が初マラソンとなった(2時間18分51秒で18位)。春・夏・秋と、藤田選手の練習パートナーとして合宿に帯同し、マラソンランナーとしての基礎力を強化した。日本を代表するランナーへの成長が期待される、今後も注目の選手である。静岡県出身。


