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特集:第61回福岡国際マラソン

目次

今春入社した山下選手は学生時代に4年連続で箱根駅伝を走り、3年時には9区区間賞の走りで亜細亜大学初優勝に貢献、卒業直前の2007年3月には「びわ湖毎日マラソン」で初のフルマラソンを経験した期待の新人です。4月に入社してからは、ベテラン藤田選手の練習パートナーとして合宿に帯同し、マラソンランナーとしての基礎力を強化してきました。12月の「福岡国際マラソン」に出場した後は、お正月の「ニューイヤー駅伝2008」のメンバー入りを目指します。特集Vol.3では、山下選手のこれまでの陸上ヒストリーや、マラソンに向けた取り組みなどをご紹介します。

小さい頃から自主練習を取り入れていた

静岡県の浜岡町(現:御前崎市)出身の山下選手は小さい頃からサッカーが大好きで、走るのが得意でした。陸上を始めるきっかけとなったのは、小学5年生の冬に出場した地元の駅伝大会です。大人と混合のチームで約3kmの区間を快走した山下選手は、両親の勧めもあり、6年生の春から隣町の陸上教室に通うことにしました。教室は土曜日と日曜日の、週2回の開催でしたが、頑張った分だけ結果が出るという楽しみを覚えた山下選手は、週末だけの練習では物足りず、月曜日から金曜日も毎日1時間、12kmほど一人で走っていました。

そうした自主練習のかいもあって、6年生の春の県大会では1500mで5位、秋の県大会では6位という成績をおさめ、中学では迷わず陸上部に入部しました。専門はもちろん長距離です。しかし、中学時代は一生懸命練習に取り組んでも結果につながりませんでした。
「全くダメで中学時代は県大会にも出られなかったんです。周りが強くて体格も違いました。僕の場合は強い風が吹いたら飛ばされてしまうというか、前に進むのも大変で・・・」と小柄な身体なりの苦労があったようです。けれども、走ることへの情熱は消えることはなく、スポーツが強くて実家から通える高校として静岡県の常葉学園菊川高校へ進学しました。高校時代はインターハイに出場することは叶いませんでしたが、地区や県内で活躍し、ひたむきに練習に打ち込む山下選手の姿勢が関係者の目に留まったのでしょう。長距離ランナーとしての将来性を見込まれ、箱根駅伝常連校である亜細亜大学へ進学することが決まりました。

2007年4月に富士通陸上競技部に加入した5名の選手

人より多く練習しないと負けてしまう

亜細亜大学陸上競技部のグラウンドと寮は、富士通の最先端ロジックLSIの基礎技術開発拠点である富士通あきる野テクノロジセンターの近く、東京都西多摩郡の日の出町にあります。寮の生活は朝4時半に起床、朝の練習後に朝食、武蔵境キャンパスへ通学して授業を受けた後は、寮に戻って夕方6時から全体練習、夜8時に夕食、その後に洗濯・入浴などを済ませて夜10時半に消灯というスケジュールになっていました。これだけでもかなりハードな寮生活ですが、驚くのは山下選手が通常の練習だけでは満足せず、小学校時代のときのように自主的に練習を積み重ねていたことです。
「僕は“大学に入学したら1年生のときから絶対にレギュラーになる”と心に強く誓っていたので、朝は3時に起床して1時間走ってから朝錬に参加して、夕方も全体練習の前には必ず走っていました。人より多くの練習、+αの練習を必ず取り入れないと負けてしまうと思っていたんです」

負けず嫌いで練習好き。入学当初からの猛練習の成果もあり、山下選手は1年生から4年間連続で箱根駅伝のレギュラー入りを実現します。1年、2年はアンカーの10区、3年で9区、4年で2区を任され、特に3年生のときは区間賞の走りで亜細亜大学初優勝に貢献しました。
「あのときは11月の1ヶ月間は故障していて走れなかったので、メンバー入りできないのではないかと不安でしたが、12月中旬から調子が上がって、メンバーに入ることができました。本番では2位でたすきをもらったので、『絶対に首位になってやる』と思って走りました」と当時を振り返ります。「でも、トップで渡すことができたことは達成感があって良かったのですが、同年代には強豪選手も多いですし、やはり上には上がいるなと思いました」と、その後も練習に励みました。

初のフルマラソンは惨敗

山下選手は「学生のうちにマラソンを経験しておきたい」との思いから、2007年3月のびわ湖毎日マラソンにて初のフルマラソンに挑戦することを決めました。決めたのは2006年夏ごろですが、本格的なマラソン練習を開始したのは箱根駅伝が終わってからで、鹿児島徳之島にて1月に45km走、2月に40km走、45km走と長い距離を走る練習を行い、大会当日を迎えました。結果は2時間18分51秒の18位。本人には不本意な結果でした。
「僕は試合前になると不安になって、どんどん追い込んでしまうクセがあるんです。練習しなくてもいい時期に隠れて練習をしたり、試合の1ヶ月前から自分でバリアを張ってしまったりして、やり過ぎてしまいます」と話します。びわ湖毎日マラソンのときは、まさに疲労が抜け切らなかった状態で、スタートラインに立った時点で疲れていました。「だから、今度の福岡は『やるときはしっかりやる、(疲労を)抜くときはしっかり抜く』という考えで臨みます」

若い山下選手とベテランの藤田選手が、どこか重なって見えるのは気のせいでしょうか。負けず嫌い、人より多く練習をしようという熱意、試合直前には人を寄せ付けない“バリア”を張るなど、山下選手と藤田選手には数々の共通点があるようです。「福嶋監督にも『藤田に似ているなぁ』と言われました(笑)」

第49回東日本実業団陸上競技選手権(2007年5月)

マラソン練習に必死にくらいつく

「藤田さんはずっと雲の上の存在だったので、練習パートナーの話を聞いたときはビックリしたのと同時に、とても嬉しかったです」と話す山下選手が、藤田選手と本格的に行動を共にするようになったのは、8月の長野県野尻湖での駒澤大学陸上競技部との合同合宿からでした。

野尻湖は藤田選手の母校である駒澤大学の陸上競技部が毎年夏合宿の拠点としている場所で、大八木監督の指導の下、藤田選手は駒大の学生と一緒に練習をします。当然、練習パートナーである山下選手も学生に混じって走ることになりますが、「僕だけ亜細亜大学OBだったので、メチャメチャ緊張しました」と、最初はアウェイな気持ちで慣れなかったようです。
「それに、僕が今まで経験してきた夏の練習メニューとは全然違いました。とにかくキツかった。夏の時期にスピード練習もあってペースが速いですし、カルチャーショックでした」

それでも持ち前の『負けず嫌い』で必死にくらいついて練習をこなし、菅平高原や伊豆大島などでの藤田選手の合宿に帯同し、数々の練習についていきました。
「やっぱり藤田さんは凄いなと思ったのは競技も生活もすべてをマラソンにかけていることです。練習前の集中力もすごいですし、次のことだけじゃなくて、その次のことも考えているんです。合宿でも、明日に何をするから今夜は何をしておかなくちゃいけないかとか、すごくきっちりしていて、見習わないといけないと思いました」と、藤田選手と行動をともにしたことで山下選手は多くのことを得ました。

2007年4月の入社イベントにて

福岡で2時間12分台、びわ湖で2時間10分台

入社前、山下選手自身は2008年3月のびわ湖毎日マラソンを2度目のフルマラソンにする予定でいましたが、藤田選手の練習パートナーになったことで12月の『福岡国際マラソン』を2度目、3月のびわ湖毎日マラソンを3度目のフルマラソンにすることにしました。社会人1年目に2回のフルマラソンに挑戦することについて、「福嶋監督からは『若いから体力の回復も早いし、12月から3月まで間があるので大丈夫』と言われているので、僕自身も大丈夫だろうと思っています」と不安はない様子です。体力面でも10月から取り入れた『120分走』のおかげで、かなりスタミナがつきました。「福嶋監督の指示で通常練習の後に120分走るようになりました。もちろん最初の頃は腕時計をチラチラ見ながら『まだ15分しか経っていないのか』『まだ1時間もあるのか』と苦痛でした。でも最近、やっと楽になってきました」と笑顔も見せます。

「12月の福岡国際マラソンで2時間12分台を確実に切り、元旦のニューイヤー駅伝2008を走って、3月のびわ湖毎日マラソンで2時間10分以内の結果を出したい」と意気込む山下選手。福岡に向けて既に準備万端で、あとは疲労をためないよう、万全の体調で本番を迎えるだけです。社会人1年目の山下選手が、福岡のスタートラインからどのようなマラソンランナーに成長するのでしょうか。今後もご期待ください。

山下選手コメント

山下選手福岡を走るのは初めてですが、持ち味である「粘り」を活かして、しっかりと先頭集団についていきたいと思います。できるだけ上位を目指して頑張りますので、どうぞ温かく見守ってください。

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